安芸国分寺とは | 広島県東広島市の真言宗 金嶽山 常光院 安芸国分寺(安芸國分寺)公式サイト

真言宗御室派
金嶽山 常光院
史跡 安芸国分寺

Omuro-ha Shingon-sect
A National Historic Site
Aki Kokubunji-Temple

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『安芸国分寺』

Aki Kokubunji

あきのくに【安芸国】

安芸国

現在の広島県西半部を占めた旧国名。

律令制下で山陽道に属す。「延喜式」(三代格式)での格は上国で、京からは遠国とされた。

国府は現在の安芸郡府中町、国分寺は東広島市西条町におかれていた。(国府が移転したようである。)

1146年(久安2年)に平清盛が国守となって以後、平氏の重要な知行地となった。

鎌倉時代以降、小早川氏、吉川氏、毛利氏ら東国御家人が移住して在地領主制を展開。1555年(弘治1年)に毛利元就が陶晴賢を破り、1566年(永禄9年)には尼子氏の月山城を陥落させ、中国地方をほぼ統一した。

関ヶ原の戦いの後は福島正則の、1619年(元和5年)からは浅野長晟の所領となり、以後浅野氏が広島城を中心に支配体制を確立して幕末に至った。

1871年(明治4年)の廃藩置県により広島県が成立、安芸国はその県域に含まれた。『芸州(げいしゅう)』ともいう。

Aki

安芸国分寺

This is the old name. It is the western part of Hiroshima Prefecture.


国分寺

国分寺

天平13年(741年)聖武天皇が鎮護国家を願って、諸国に国分寺建立の詔を出し、建立されたのが国分寺です。

国分寺は僧寺と尼寺があり、正式名称は僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、尼寺は「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」です。
奈良の東大寺は僧寺の総本山として「総国分寺」と呼ばれ、同じく奈良の法華津寺が尼寺の総本山として「総国分尼寺」と呼ばれます。

安芸国分寺は現在も真言宗(御室派)の寺院として存続しており、国分寺跡はその境内と重なります。
そして国分寺跡は発掘調査を経て、「安芸国分寺歴史公園」として整備されてます。

現在本堂が建っている所がそのまま金堂跡で、その北に講堂跡、僧房跡があります。
塔跡は西側にあり、礎石が残っています。また近年の調査によって「国師院」と呼ばれる建物跡が、全国ではじめて確認されました。

Kokubunji

安芸国分寺

In 741, the Emperor of that time issued orders across the country.

I hope this country will develop.
To that end, build a Buddhist temple in the capital.Furthermore, Buddhist temples in various places build.Todaiji Temple of Nara was built at that time.Temples in various places were called Kokubunji each.

Although time has flowed, Aki Kokubunji still leaves a side view of those days.

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安芸国分寺

Aki Kokubunji


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